【登山紀行】初夏の飯豊山縦走Day1(後編)低体温症への恐怖、その時僕がとった行動とは?
初夏の飯豊山縦走 初日。
全身から汗が吹き出すサウナ状態から一変し、飯豊山の稜線に吹き付ける強風が、尋常じゃない早さで体から熱を奪っていく。
汗で濡れた全身と衣類。
稜線を越えるように流れるガスの水分。
そして、強風。
このままでは死にかねない!
咄嗟にバックパックをその場に下ろす。
バックパックからレインウェアを引っ張りだす。
風で飛ばされないように、ウェアを着込む。
バックパックの上蓋ポケットからありったけの行動食を掴み、レインウェアのポケットに詰め込む。
パックカバーでバックパックを覆う。
サイドポケットのボトルから水分を補給する。
この間、ほんの5分足らずだ。
このわずかな間にも確実に体温が奪われ、もう既に凍えそうな寒さを感じ始めている。
『マジでヤバい! 』
濡れた衣類を完全に変えるべきか一瞬だけ悩んだ。
目的地まで1時間半ほどのコースタイムだ。
悠長に悩んでいる時間はない。
濡れた衣類は着替えず、登ってきた道は戻らず、そのまま目的地へ進む事を即決し、すぐに動き出した。
『 死んでたまるか!』
全面に現れた僕の生存本能と、一気に吹き出したアドレナリンで、恐怖の感情は吹き飛び、体が無意識に生存行動をとる。
この状況では、体を冷やさない事が重要だ。
熱が奪われるなら、生み出せばいい。
体が動くなら、動き続ける事が一番手っ取り早く体温を維持できる。そう考えた。
そのためには熱源となる食料、エネルギー源を絶対に絶やしてはならない。
確実に前進することと、エネルギーを補給する事だけに全身全霊を注ぎ、動き続けた。
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登山やシーカヤック、バックカントリースノーボードのような、大自然を相手にした遊びは、時に生命が危険にさらされる事がある。絶対に安全だという保証は、どこにもない。
それが自然の怖さでもあるが、そのリスクは知識や経験で、最小限にすることができる。
そういった経験値を積むことで、より安全に、より快適に、よりチャレンジングに、自然と付き合うことができるようになっていく。
そういった精神的、技術的なスキルアップもまた、楽しさのひとつだ
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無心で足を前に送り続けてからどのくらいの時間が経っただろうか。1時間、もっと短い時間かもしれない。
早歩きのおかげで、体の体温が上がり、もう寒さは感じない。
『 よし、これなら大丈夫だ。』
安堵感と急激にひいていく脳内のアドレナリンで、一気に体が疲労感に包まれる。
バックパックの重みが、首、肩、背中にかけてずっしりとのし掛かかる。
さらに、つい先ほどまでは感じなかった濡れた衣類の不快感がハンパない。
そんな状況にどのくらいの時間耐えただろうか、ようやく小屋の案内板が目に入り、ガスで真っ白な前方の空間に、建物の影が見えた。
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山小屋の扉を開けると、暖かい空気に頬を包まれた。
小屋の中はストーブで暖がとられており、心に染み入る温かさだ。
年末年始に、居間の灯油ストーブで暖が取られた、実家に帰ってきた時のような、安心感と温かさだ。張り埋めていた全身の強張りが、一気に緩んでいく。
大丈夫だと思ってはいたが、自然が相手では確信なんて持てやしない。
不確定要素だらけで、同じ状況なんてまずないからだ。
前回うまく行ったからといって、今回も同じようにうまく行くとは限らない。
判断を誤れば死に至る状況なら、なおさら、その時々の状況に合わせて、判断を変えていかなければならない。
今回のような状況に置かれ、本当に山小屋は心強い存在だ。
雨風を遮れるだけではなく、暖がとられているなんて、思ってもみなかった。
小屋番さんが常駐して居てくれたからこそ、雨に濡れた衣類を乾かし、快適に縦走を続けることができる。
普段の生活では決して感じる事のできない、当たり前のことや、小さなことに感謝できる山での時間は、結構大切なことだと個人的に思う。
山小屋には小屋番の方を除いて、3名の先客が暖をとっていた。全員単独での縦走との事だ。
みんな僕と同じように、山に登り、山に滞在することが、何よりも好きなのだ。
嬉しい限りだ。
この夜は、山小屋の暖かい空気と、同じ楽しみを共有している仲間たちと、情報交換をして、いい時間を過ごせた。
2日目へつづく。